藤原親盛 (左衛門尉) (FUJIWARA no Chikamori)
藤原 親盛(ふじわら の ちかもり、生没年不詳)は、平安時代末期の武士・歌人。
藤原北家藤原長良流。
大和国守藤原親康の子。
弟に信親、子に親時がある。
官位は従五位下、左衛門尉、大和守。
後藤親盛とも称した。
北面武士として後白河上皇に仕える一方、歌人としても頭角を現す。
承安 (日本)2年(1172年)閏12月の東山歌合などに出詠している他、自らも二度にわたり歌合を主催している。
俊恵・藤原敦頼・小侍従・西行といった同時代の歌人との交流があり、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に入集。
私撰集『百題抄』、家集に『親盛集』を遺している。
また今様でも上皇の弟子であった。
建久3年(1192年)3月、上皇の崩御に際して出家。
法名を見仏と称す。
没年を含めその後の事績は不詳。